「島本家の風呂」


 北瑚梨亞は重大な決意を秘め、島本和夫の住むマンションの一室を訪れていた。ドアを開けて出てきた和夫に向かって「ここに掻く放棄(核放棄)を宣言する!」と声高らかに叫ぶ。きょとんとした様子の和夫はそれでも彼女を部屋に招き入れてくれた。
 失職してから半年経った頃、北瑚梨亞は料金未払いで水道を止められてしまった。やむなく銭湯通いをするもすぐに金が尽き、一ヶ月も風呂を我慢するはめになり、全身の痒みに耐えきれなくなってしまった。やむなく知り合いの家で風呂を借りることにしたのだ。
「どうして朝子や詩奈のところに行かないの?」
「こうもやすやすと貸してくれるのはおまえのところくらいだ」
 瑚梨亞は胸を張って自らの慧眼を誇るが、和夫はその胸をいささか呆れた顔で眺めるばかりだった。
 和夫は「それぞれの国の慣習の行き違いで国際問題になっては大変だから」と理由をつけて、洗面所と風呂場について細々と瑚梨亞に教え聞かせた。タオルの置き場所やシャンプーとリンスの違い、温度設定まで。
「やっぱり何かあると不安だよ。一緒に入ろう」
「日本人は変態だ!」
「誤解しないでほしい。僕は瑚梨亞ちゃんを妹のように思っている。家族が一緒にお風呂に入ることは万国共通、何も問題もない」
「家族であってもこの歳で一緒に入るものか!」
「じゃあ友達のよしみで」
 瑚梨亞は怒って洗面所から和夫を追い出した。
(友達、か……)
 もし「恋人と思っている」と言われたならどうしていただろう、と考えると、瑚梨亞の小さな胸は少し高鳴った。
 彼女が湯舟に浸かると、浴槽には大量の垢が浮き、髪の毛から落ちた蚤が溺れ始めた。いくら和夫のような変態の家のものとはいえ、汚し過ぎるのも悪い気がしたので、(出たら肩でも揉んでやるか)と瑚梨亞は気を遣った。それはこの家のチャイムを押すと決めた時よりも重大な決意だと彼女には思えた。
 と、がちゃがちゃ、どん、と洗面所の扉の鍵を壊して強引に開く音がし、瑚梨亞の安息のひとときが破られた。
(あの変態め、我慢出来なくなったか!)
 タオル一本あれば男一人、絞め落とすくらいのことはわけない、と彼女は肌を隠さず、和夫を迎え撃つ覚悟を決める。しかし、風呂場のドアを開けて顔を出したのは和夫ではなく、南朝子だった。
「あんたいつまで入ってんのよ、次あたしが入るんだからさっさと出なさい!」
 呆気に取られた瑚梨亞は早々に身体を洗い流し、行水を終えた。
 和夫が用意してくれたらしい白いYシャツ一枚を、裸の上に着て瑚梨亞が外に出ると、「ごめん、瑚梨亞ちゃんの着てた服、汚れ過ぎてたから。合いそうなのはそれくらいしかなかったんだ」と和夫が手を合わせて詫びてきた。
「それより、何で朝子が?」
 猛然と浴室に突入するも、浴槽に残る垢を見て悲鳴を上げる朝子を振り返りつつ、瑚梨亞は疑問に思っていたことを和夫に尋ねた。
「ああ、いつも借りに来るんだ彼女。自分のとこで入ると水道代がかかるからって」
「そうだったのか……」
 始めから彼女のように遠慮せずにやってくれば良かったと、瑚梨亞はこの一ヶ月間の苦しみを後悔した。
「また借りに来ていいか?」
「今度は一緒に入ろうね」
 入るものか、と一喝するも、心の底では(でもいつか……)と思ったことは口に出さないでおいた。
 なんだかんだ言いながらも、朝子は機嫌良く韓国国歌を口ずさみながらシャワーを浴びている。彼女の歌声を聞きながら、さっき、和夫は瑚梨亞のことを友人扱いはしたが、恋人とまでは言わなかったことを改めて思い出していた。
 憂いに沈む瑚梨亞を見て「その服、とても似合ってるよ」と和夫が言うので、瑚梨亞思わず蹴りを放ってしまう。インパクトの瞬間も、壁まで吹っ飛ばされた後も、彼女の局部を凝視していた和夫の顔は喜びに満ちていた。

(了)

(泥辺五郎先生)
文藝新都で【僕らはみんな死んでいく】を連載中の泥辺五郎先生にFNを書いて頂きました!
過去乞食しまくってきた私ですが、FNはこれが初めてです!
実は私が新都社で最初に読んだ小説は【小説を書きたかった猿】なのです!
本当にありがとうございました!



ブラウザの「戻る」でお戻りください

inserted by FC2 system